#Project Refuturing the Soil 2 日本語

‘Refuting the Soil 2.-シンコロブウェのウラン鉱石の放射能に導かれ、近代と平和の裏側をマッピングする-(2024ーongoing)


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#Exhibition #Research #Collaboration

展示風景:Refuting the Soil 2.-シンコロブウェのウラン鉱石の放射能に導かれ、近代と平和の裏側をマッピングする-(第2版)、グループ展「シンコロブウェ:権力と記憶のはざま」、ギャラリーG、2025年7月29日ー8月10日、広島

私は昔オランダに住んでいた時、ハーグにあるコンゴ民主共和国大使館を占拠するアート・コミュニティの一員だったことがある。(大使館はコンゴ国内の様々な理由で閉鎖していた、そこをオランダのアーティストとスクワッターが最初占拠した。)当初私は、自分が住んでいる空間の歴史的背景を十分に理解していなかった: なんの成り行きが私たちの占拠を可能にしたのか?一般的に考えれば意味不明かもしれないが、当初私たち(マジョリティがオランダ、ヨーロッパ、アジア出身)はコンゴ大使館の外交特権の中で暮らしていたのだ。ベルギーによる残虐な植民地支配、独立同時期から現在まで深く介入され破壊され続ける国家主権、植民地支配時代の継続的な負の遺産が、今日のコンゴの不安定化と、人々の日々の苦労と闘いを形作っていることなど、まったく知らなかった。その歴史を調べている過程で、私はブリュッセルのマトンゲ地区で書店を営み、帰国して地方選挙に立候補しようとしているコンゴ人男性に出会った。彼は原爆犠牲者への連帯と平和への意思表示として、いつか僕は、コンゴから広島まで歩きたいんだ、と私にシンコロブエ鉱山のことを話した。この言葉は深く心の中に残っていた。この言葉に多少なりとも応えられるようになるまで、さらに10年を要したが・・ 

本インスタレーションは、『’Refuting the Soil 2.-シンコロブウェのウラン鉱石の放射能に導かれ、近代と平和の裏側をマッピングする』は、歴史的アーカイブ、衛星アーカイブと共に、作家自身が制作した写真やドローイングを組み合わせた129枚のポストカードサイズの画像から構成される。(組み合わせや枚数はバージョンによって異なる。)作品は、コンゴ民主共和国、日本、アメリカの3人のアーティストによるコラボレーション『シンコロブウェ:権力と記憶のはざま』の一部。核史最初期の原爆開発に使われたウランの主要供給源、コンゴのシンコロブウェ鉱山を主題とした芸術的対話、グループ展である。(プジェクト全体の概要はこちらから)

シンコロブウェにまつわる(消された)歴史は、日本の被爆、戦争のトラウマ的記憶において繋がりがあるだけでなく、敗戦後急速な復興を成し遂げた続・帝国資本主義の日本とも深く関わりあいがある。私の作品『’Refuting the Soil 2.-シンコロブウェのウラン鉱石の放射能に導かれ、近代と平和の裏側をマッピングする』は、植民地時代の黎明期から歴史的な放棄を経て、現代の銅・コバルト採掘時代に至るまでのシンコロブェウラン鉱山とその周辺地域の変遷を追跡しつつ、日本とヨーロッパにおける第二次世界大戦後の復興史の出来事を織り込み、核の歴史におけるモダニティ(近代性)/コロニアリティ(植民地性)のパラドックスに焦点をを明らかにする。そして、シンコロブウェ鉱山の労働者とその家族の消された経験と記憶を想像し、鉱山周辺の放射能汚染と鉱物開発の連続性の可視化を試みる。

ヨーロッパの戦後開発においてコンゴは逆説的に、可視された存在でもあり、不可視化された存在でもあった。コンゴの重要性は米国と欧州の利害の気まぐれによって形作られた。この植民地主義者達の矛盾論法は、マンハッタン計画後も明らかで、例えば、1958年のブリュッセル万国博覧会(Expo 58)では、植民地の学術人類館が依然として行われていた。コンゴセクションという一帯が設けられ、原子テクノロジーを祝うパビリオンや、ウラン鉱石を展示した植民地政策のプロパガンダが行われる中、コンゴの人々は、アトミウムタワーのそばに建てられた伝統的なコンゴの家屋を模した村で展示されていた。一方日本では、原爆生存者は残留放射線の科学的研究材料として利用され、占領軍のリサーチセンター(ABCC)によって、再度非人間化された。同時に被爆者達は、原子力の平和利用(Atoms for Peace)のキャンペーンの中、戦後まもなくすぐ行われた平和祭典や、1958年の広島復興大博覧会のようなフォーラムを通じて、日本全国に原子力を推進する立場に置かれた。本作品は、近代性と平和の美学の背後にあるメカニズムを解体しよう
とする試みるである。

インタレーションに含まれるイメージ:

シンコロブウェ鉱山のウラン鉱石の放射線像。そのウラン鉱石の写真、広島でのフィールドリサーチの写真。1923年にミニオン・ミニエール社が発行した、シンコロブウェ鉱山のポストカードに描かれたドローイングシリーズ。次の提供団体による歴史的アーカイブ写真も含む: Collection RMCA Tervuren (ベルギー王立アフリカ博物館), RMCA Tervuren/Stalin (ベルギー王立アフリカ博物館/Stalin), Sofam (ベルギー王立アフリカ博物館/Sofam), Brussels Royal Library (ベルギー王立図書館), 明田弘司/明田フォトプロジェクト, 広島市公文書館, 広島平和博物館, United States Army (米軍資料)。2014−2024年の鉱山周辺の衛星画像アーカイブは、Google(グーグル)とESRI | World Imagery Wayback (ESRI | 世界の画像アーカイブ)の画像を使用。

*(ラジウム鉱山としてのシンコロブウェからマンハッタン計画、そして現在の鉱山の周りの状況についてを書きまとめてあります。本サイトのリサーチページ(現在英文のみ)から読めます。)

Donatien Dibwe dia Mwembu (ルブンバシ大学 歴史学科 教授)へのインタビュー映像, 4k and HD 28分: 2025


展示風景:Refuting the Soil 2.-シンコロブウェのウラン鉱石の放射能に導かれ、近代と平和の裏側をマッピングする-(第1版)、グループ展「シンコロブウェ:権力と記憶のはざま」、ルブンバシビエンナーレ, ピチャアートセンター, コンゴ民主共和国,2024年10月29日ー11月29日