#Project Refuturing the Soil 1.日本語

Refuturing the Soil – 1. –from the lost memory of Hikoshichi (in Elnglish)

#Kite #Exhibition #Film

日本の戦後は、「ねじれた」または隠蔽された状態、あるいは単に不誠実な状態であったと表現することができる。それゆえ、日本の学者は「戦後はまだ終わっていない」と言う。『日本の長い戦後・敗戦の記憶、トラウマはどう語り継がれているか(2017年)』の著者である橋本明子氏によれば、アジア・太平洋戦争(1931-1945)における日本の国民的トラウマは、3つの異なる軌跡を通して語られてきたという: 1つ目は祖先の死を英雄的行為として美化し称賛することでナショナリズムを奨励する「美しき祖国の記憶」。2つ目は、国内のまたは、日本人の犠牲者に焦点を当てる「悲劇的な国の記憶」。最後は「罪の国の記憶」であり、日本が占領した近隣諸国の被害者に対する正義を求めるものである。これら3つの記憶又は公共空間での語りは相入れない。よって、文芸評論家の加藤典洋氏は著書『敗戦後論 1997年、2015年』の中で、日本の戦後はねじれているという。日本人はどのように「適切に」戦争死者を弔ったらよいのか、そしてそれは何を意味するのか。

このプロジェクトは、私自身と父との困難で不可解な関係性、また、父と彼の父親(私の祖父)である彦七との距離感についての考察から生まれた。

ある人との間でトラブルを繰り返していたとき、セラピストが、同じような反応をするような人間関係が他にあるかと聞いてきた。その時、忘れていた、あるいは抑圧されていた幼少期の傷が浮かび上がり、ほぼ同時に、私の父も幼少期のトラウマを潜在意識に抱えているのではないかと思いはじめた。それまで私は、アジア太平洋戦争について、日本の歴史について、自分の家族や地域社会の視点からよく考えてこなかったと気づいた。遅すぎるとは思うが、それをしなければいけないと思った。

私の父は8歳の時、愛知県半田市で米軍の空襲を生き延びた。この空襲では、祖父彦七を含め少なくとも264人が亡くなったが、私の家族の中では、戦争の記憶も祖父の死もほとんど語られることはなかった。子供の頃、私は「(祖父は)爆弾に当たって死んだ」とだけ聞かされていた。私が悔やんでいるのは、その説明、ー祖父の死がまるで平凡で、あたりまえの死に方であったかのようなー、をそのまま受け入れてしまった事だ。そして、そこには加害者の責任にも被害者の惨めさにも特に何の感情も抱いていないような感じがあった(と思ってきた)。戦後のGHQ占領期、経済復興再生の真っ只中、自分や家族の被害を話す事は一般的に慎むべきとされていた。それに祖父は、足が不自由だったため徴兵されなかった為、父の家族は無意識のうちに祖父と祖父の被害死を取り巻く状況を余計に軽んじていたのかもしれない。

Below: Toshie Takeuchi, Solo exhibition at Eks-Rummet Copenhagen, 2023

本展覧会は、父や、父と同年代の地元の犠牲者へのインタビューを軸としたコラージュドローイングを施す8つの凧で構成されている。描かれている絵は「半田の戦争と空襲を記録する会」が出版した証言集からもインスピレーションを得ている。この会のメンバーは、1980年代から30年以上にわたって地元の証言を記録してきた。ほとんどの証言は初期に集められたものだが、数年前にも空襲の生存者から新たな証言が出ている。凧のインスタレーションには、凧を空に掲げるジェスチャーをする手の彫刻、そして私の父と歴史家でありアーキビストでもある佐藤明夫氏とのインタビューを収めた45分のビデオが添えられている。インタビューの中で私の父は、彦七の死は家族の恥だと長い間思っていた、と言った。

父へのインタビューはコロナ危機の最中だったので、スカイプでしか話せなかった。本当は、その規制が終わったら、彼と一緒にこのテーマについてダンス映画のようなものを作ることを想像していた。しかし、父はその間急性骨髄白血病と診断され、最後のインタビューから半年後に他界した。この個人的な体験が、凧に描き、凧を作るという表現形態を決めた。この凧は、展示するためだけのものではなく、空を飛ぶためのものである。私自身が軽視してきた、父と半田の地域の記憶を高く揚げるために。

Below: Toshie Takeuchi, Screenshot of the interview video exhibited at Eks-Rummet Copenhagen, 2023

父の羞恥心と向き合うことは、私に日本の近代における抹殺性とその帝国植民地主義の意図全体について考えさせた。明治時代(1868-1912)の急速な近代化がいかに、他者の非人間化に基づくヨーロッパ帝国植民地主義を内面化し、日本人自らが持っていた歴史的・精神的・感覚的な存在性を否定するように仕向けてきたか。そして、敗戦からの急速な経済復興が、日本の植民地支配の責任だけでなく、国民自身の傷をも忘却の彼方へと追いやった事。150年以上もの間、私の母国の根底には、ルーツの断絶、経験と記憶の消去、他者の痛み ー家族でさえもー に対する無感覚さと否定があるように思える。展覧会では、父/私と祖父・彦七との遠い関係が、日本帝国植民地主義の文脈の中でどのように理解されうるかを、視覚的な台本の役割を果たす小さな小冊子に添え、今後のプロジェクトの発展を観客と共有した。

Below, for a further research, video & images from the booklet. These images are both from my own and internet search incl. archival images :